ブルゴーニュ生活とは
ブルゴーニュ生活とは、ブルゴーニュの蔵に嫁いだ一人の女性とその友人たちが、ブルゴーニュの観光活性化につながればと願い、今の現地情報をブルゴーニュより発信し、彼女の嫁いだ蔵、シモンビーズと著書をさりげなく宣伝するサイトです。管理者記

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 2004年1月26日    千砂Bize


朝、目を覚ますと、この冬一番の大雪。とはいっても積雪10センチ程度ですが。ユウゴは
「僕、サンタさんにお礼を言わなくっちゃ。だって雪を降らせてくれたんだから。」
なんてかわいいことを言いながら、さっさとコートと長靴で外へ走り出して行きました。
こんな日、畑仕事は出来ません。通常は剪定をし、切り取った枝を燃やす作業をしたり、使い物にならなくなってしまった畑の杭を打ち換えたりする作業をするのですが、本日はそれはお休み。セラーで2003年の澱引きをすることにしました。
暑い暑い夏であった2003年のワイン、順調に成長を続けていますが、乳酸発酵の終わった段階で、いくつかのキュヴェにいわゆる「澱臭」がするようになってきました。ワインに変な匂いが移っては困るので、そんな時は澱引きをします。でもこれからまだまだ1年間は小樽で熟成させるので、ワインに厚みと複雑みを与えるためにも澱は必要。
そこで澱の選別を行います。細かく質のいい澱と、雑みのある澱に分けるのです。
選ばれた澱とワインは樽に戻され、そしてまたしばしの間熟成を続けます。
些細だけれどいいワイン造りのためには怠ってはならない仕事です。

 2004年1月19日    千砂Bize

昨日、いろいろとテイスティングしました。白ワインから紹介すると、Bourgogne Champlain 02, Bourgogne Perierres 02, Savigny-les-Beaune 95。赤ワインはSavigny Bourgoets 00, Savigny Grands Liards 00, Aloxe-Corton le Suchot 00, Latriciere-Chambertin 95, Savigny 1er Cru Serpentieres95, Savigny 1er Cru Sepentieres 94, Savigny 1er Cru Fourneaux 93。
近年のワインのコメントはさておき、93、94、95の感想をちょっと紹介しましょう。
93年は今最高の飲み頃。ワインにテリがあり、グラス越しにのぞくだけで美味しそうな予感。サヴィニーの中でも特に動物的な要素をもつFourneauxだけれど、93特有の若い時のタンニン分がこなれて、野生動物の荒々しい面影はもうありません。
94年は一般的に、出来の悪い年とブルゴーニュでは言われていますが、どうしてどうして。確かに色は薄めではかなげ。そして非常に繊細で可憐なタイプ。香りはイチゴシロップのように甘く、味わいは香りのイメージとぴったり。今なお果実味が主体。食事にあわせるならば薄味の和食と。
95年の白は非常に理想的な熟成を遂げている感じ。豊かなミネラル分からくるのか、とても硬質なタイプ。酸と果実味のバランスが今なお良く、落ち着いて味わえる大人のワイン。赤は難しい。一般的には非常に良い年なのだけれど、パトリックの95の赤に一度として満足したことがないのです。今回も同様。果実の香りを探してもなく、やや金属的なアロマ(?)がでてくるだけ。味わいでも同様果実味が見つからず、バランスが悪くアフターがストンと落ちるかんじ。なので、ボトルにかなり残ってしまいました。
そこで今日の昼、余った95のワインをグラスに注ぎ、仕方なしに飲んでみると…
「美味しいじゃない」
熟したプラムのような香りがぷんぷん、味わいもバランスよく、するする飲めてしまいます。ということは、95はクローズしていたということなのでしょうか。ひと晩たって、目を覚ましたのでしょうか。要確認です。

 2004年1月17日    千砂Bize

今日はサヴィニーのサン・ヴァンサン。
バースデービンテージが必ず見つかるといわれるほど、オールドビンテージのストックが豊かなDoudet-Naudinの蔵からとても小さなGiboulotの蔵へと神様(正式には守護聖人)が移動していきます。
まずはDoudet−Naudinの蔵で酒が振舞われ、ほろ酔い気分にになったころサン・ヴァンサンの神輿を先頭に楽隊に導かれて教会へ向かいます。昨年一年間の感謝そして今年一年の無事を神に祈るのです。ミサが終了すると、Giboulotの蔵まで神輿を届け、そこで再び振舞い酒。実際はGiboulotの蔵が小さすぎるので、Ecardの蔵を借りることになりましたが。
夜8時半からはCousinerie de Bourgogne主催の晩餐会。ここで今度は食事と共にサヴィニーのワインを飲みまくるのです。このCousinerie de BourgogneというのはChevalier de Tastevinのサヴィニー版というところ。昨年の叙任式で晴れてCousineになった私。サヴィニーのヴィニュロンの妻として認められたような、そんな気がして嬉しかったなあ。

 2004年1月15日    千砂Bize

パトリックの大親友、シャブリのラブノーのところへテイスティングに行きました。2003年をタンクから、2002年を樽からテイスティングです。
2003年の夏はシャブリでさえ暑く、収穫を8月28日と例年よりひと月早くスタート。収穫量は例年の半分。ただでさえ生産量の少ないラブノーのワイン。さらにレア物になってしまうわけです。 酸が低い年で有名だけれど、ラブノーのワインはとてもすがすがしく、どれも青りんごのよう。それもそのはず。補酸ではなく、乳酸発酵を途中でストップすることで、酸を残す造り方をしたそうな。特にLes Closの素晴らしさはさすがシャブリの帝王の風格。ラブノーのワインは第2次発酵終了まではタンク発酵。2002年物をビン詰したら小樽に移し換えます。

ラブノーのワインは決してクリーンではなく、いい意味での野暮ったさがあり、熟成するほどにそれが滋味となっていくのです。そうなるまでには10年かかり、現代のスピード社会とはかけはなれたタイプ。それがビン詰前のをテイスティングすると全くその印象とは異なり、非常にクリーンでシャープな感じに驚かされました。とにかくスケールの大きいワインです。

 2004年1月12日    千砂Bize

コート・ダジュールがこんなに美味しいなんて!

学生の頃から数えて今回が4度目のコート・ダジュール。それまでは、美術館巡りに観光とありきたりの旅行でしたが、今回は徹して食べることに集中。近代・現代の偉大な芸術家たちがこの土地に魅せられたのは単に「光」のせいではなく、食べ物にあったことが今回判明しました。

我が家を水曜の正午に出発し、途中休憩をしながら最初に2泊するニース郊外のシャンブル・ドット(民宿)に到着したのが午後7時半。広々とした家で庭にはプール。とても元気のいいマダム・ミッシェルが迎えてくれました。子供達は道中車のなかでずーと寝ていたせいかとても元気でどうしようかと思いましたが、幸いにも地下にあったビリヤードやミニ・サッカーで楽しそうに遊んでいてくれるうちに時は過ぎ、その日はゆっくりと眠りについたのでした。

翌朝、イタリアはジェノバに向け出発。ランチをジェノバ近郊の小さな港町にあるレストランへ食べに行くのです。数ヶ月前、その店のオーナー夫妻にサヴィニーの隣村のブイヨンで出会い、1月に南仏へ行く予定がある話をしたら、ニースやモナコからそんなに遠くないから是非遊びに来てくれといわれたのです。冬は特に新鮮な海の幸がいっぱいだからという話しを聞いて、パトリックが行かないわけがありません。てっきり1時間も車で走れば到着するのかと思ったら大間違い。2時間以上かけて到着したそこはフランスのCassisに似た雰囲気のところ。シーズンオフのせいかとても静か。いやな予感がしてきました。「閉まってるー。」電話で予約をしたはずなのに…。なんのためにここまでやってきたのでしょう。仕方ないから、唯一営業をしていたところで食事をして帰ることに。あーあ、スペシャリテとやらの活えびや貝の料理を食べたかったのに。
宿に戻る前に、モナコに寄りました。鄙びたイタリアと違って、なんともゴージャスな街なのでしょう。アラン・デュカスのLouis]Xの入っているHotel de Pairsでアペリティフ。「こんなんだったら、Louis ]Xで食事をすればよかった。」とぼやいたら、「次回はそうしよう」とパトリック。いつになるかわからないけれど、ドキドキわくわくです。
夕食はマダム・ミッシェルの手作り。ポタージュ、魚と野菜の蒸し料理、チーズ、洋ナシとチョコレートムースのデザート。とっても美味しかった。
次回も宿泊はここがいいな。

金曜日の午前中はニースの港を散歩。何度かニースに来たことはありましたが、この旧市街に足を踏み入れたことはありません。ネグレスコホテルなどが並ぶ海岸線とは全く違う雰囲気で、アンティークショップが軒を連ね、小さなレストランが重なるように並んでいるとても和気あいあいとしたところでとても居心地がいい。もっとゆっくり散歩を続けたかったけれど、ランチをする予定の田舎町、香水で有名なグラースにほど近いRoquefort-les-Pinへ向かわねばならないので、ニース旧市街探索は次回の課題に残して出発。

昔は大きな農場が3軒ほどしかなかったというRoquefort-les-Pin。現在はニースとカンヌの間の別荘地というかんじの村です。その村のはずれに15世紀に建てられたという水車小屋があり、そこに今から行くレストラン「La Table de Mon Moulin」があるのです。
ここのシェフ、ジョンピエール・シルバ、は2年前までサヴィニーのお隣村のブイヨンで1ッ星レストランのシェフとしてブルゴーニュ、コート・ドールでは有名な存在でした。おじいちゃんの代はイタリア出身というだけありちゃきちゃきのラテン気質で、80年代頭にブルゴーニュに乗り込んできて以来、レストラン業界の親善大使として料理人、ワイン生産者、地間元チーズやきのこの生産者などを結びつけ、交流を育んできた要の人物でした。
その彼が、2年前、愛するブルゴーニュに別れを告げ、自らの生地に戻り、自分が最も理想とするレストランを開きました。
それは自らの家の1階をレストランスペースにし、「もてなす」料理を追及したのです。自らが毎朝マルシェへ買い物へ行き、自ら料理をし、自らがサービスをする。なので店には15席しかありません。オープンキッチンなので、シェフと話しをしながら、その日のおもてなし料理をマダムがセレクトしたワインと共にいただくのです。
余分な部分を省き、シンプルな、それでいて味わい豊かな料理。一時は2ッ星まで上ったシェフが選んだ道は星やレストランガイドとは無縁の心やすらぐ世界なのでした。

翌日土曜日。午前中、土日休みのジョンピエールと共にCagne-sur-Merのマルシェへ。さすがに毎日買い物に来るジョンピエール、みんなから声をかけられます。「今日はいやに遅いね。休みかい?」「後で1杯いっしょにやろうじゃないか」とか、ここでも人気者ぶりがうかがえます。「ここの魚屋はいいぞ。今朝男衆が釣った魚が店に並んでいるんだ。ばあちゃんは今でも港で魚を売っているよ。」とか「ここのイタリア産ハムやトリュフ入り羊のチーズは絶品だ。」とか「ここではロケット(サラダの一種)ではなくリケットを買うんだ。オリーブオイルとパルメザンチーズで和えるだけで美味しいサラダの出来上がり。」と、まるで歩くグルメガイド。サヴィニーから持ってきたアイスボックスいっぱいに買い物をしたのでした。

ランチはRoquefort-les-Pinのお隣町Le Rouretにあるレストラン「Le Clos Saint Pierre」で食事。明日にLe Rouret村のトリュフ祭りが開催されるとあって、トリュフづくしのメニューがあったけれど、今晩大イベントが控えているので、軽めのランチで済ませました。教会に面した広場にあるとても清潔で明るい、もちろん美味しいレストランでした。

さて、今回の旅のメインイベント。生まれ変わった「Le Moulin de Mougins」のオープニングディナーへ参加してきました。カンヌ北部の村にあるこのレストラン。フランス料理会を代表するロジェ・ベルジェの下で70年代には3ツ星に上りつめました。またセザールやフォロンをはじめ多くの芸術家達が通ったレストランでもあります。中庭には彼らの作品が美術館のごとく現在でも並んでいます。ペトリュスが週に1−2本の割合で消費されるということでも有名。それほど世界中の金持ちが集まる店なのです。
その由緒正しいレストランのオーナーシェフに若干36歳の若手天才シェフが就きました。その名はALAIN LLORCA。ニースのネグレスコホテルでシェフをしていた時から彼はめきめきと頭角を現し始め、彼の中に流れるスペインの血が創作の意欲を沸きたて、できた作品が「La Ronde Des Tapas(タパスのロンド)」。タパスのように少量の一品が完璧な状態に料理され、まるでロンドを舞うかのように次から次へと五感を楽しませてくれるのです。しかも今流行のムース料理のメニューなんかではなく、ちゃんと胃を満たせてくれます。皿の上に余分なものがなく、それだけ。ソースでキャンバスのように皿をデザインしたりなんかしない、素材丸出しの料理。
ちょっとなんくつをつけるとすれば、内装が若さは感じられるのだけれど、品がないんだよね。ワインリストも大改良しなきゃ。
とにかくすごく若いのにオーラがすごかった。きっとシェフと共にどんどん店も成長していくんだろうな。今度どうなるか要チェック。
以上、旅の報告終わり。

 2004年1月1日    千砂Bize

あけましておめでとうございます。
私ごとですが、去年は本当にいい一年だったなぁと思うのです。
何よりも子供たちと話しができるようになったことが大きい。
ユウゴは赤ちゃんのころから中耳炎だったようで、音がよく聞き取れていなかったみたい。4歳の誕生日を迎えても、簡単な単語しか喋らず、相変わらず「あー」だの「うー」だの言って手振り身振りで要求するし、何よりも落ち着きがなく、正直言って手を焼いていました。こんなに子育てって大変なのかしらって。
でもどうも変だと思い、耳鼻科へ。いろいろ検査をしてもらうと、鼓膜の裏側がただれていて音が完璧に聞こえていないと分かりました。3歳の時にも同じ検査をしたのですが、その時は医者に対する恐怖からか、ユウゴはわめきちらし、測定不可能だったのです。
すぐに鼓膜に管を通して通気をよくする手術をしました。するとうそみたいにユウゴがいい子に大変身。鼻歌まで歌いだす始末。
話せること、歌えることが嬉しいらしく、私や友達、先生の顔を覗き込んで話します。でも4歳まで耳が十分に聞こえていなかったハンデは大きく、かなりボキャブラリーが乏しい。妹のナスカの方がいろいろと喋れるくらいですから。
なんやかんやで、去年は子供たちともう一度向き合い直す年、だったのです。それまでは、子供は勝手に大きくなるものと思い、あまり手をかけずにいました。
最大の改革はリビングからテレビを無くしたこと。子供たちと会話をする時間を多くするためです。それから家での会話をフランス語にしました。それまではどうしても日本語を覚えてもらいたいという思いで日本語で話をしていたのですが、パトリックがいるとフランス語になってしまうといういびつな形をしていました。でも彼らにとって今、そして将来絶対必要なのはフランス語。フランス語が母国語であるべき、と悟ったのです。そして毎日の食卓を「3ツ星」にすること。赤ちゃんのころはいろいろと食べていたのに、だんだんと好き嫌いが激しくなり、いつの間にか食事の内容が乏しくなっていました。それをテーブルの雰囲気や食事の内容を豊富にし、半ば無理やり食べさせるようにしたのです。徐々にですが少しずついろいろな物を食べてくれるようになりつつあります。
ドメーヌの方にもどんどんをと口出しをしていこうと思えるようになりました。
私の最大の仕事はブドウ収穫をスムーズに運ぶようにすること。2003年のブドウ収穫は各ドメーヌによって時期にかなりばらつきがあったため、コート・ド・ニュイの2つのドメーヌで収穫体験をすることができて、勉強になりました。
それから私のワイン好きが高じて、シモン・ビーズのネゴス部門のワインをプロデュースしました。会計面で有利なこともあって、形式上ネゴス部門を持っているドメーヌは少なくありません。うちも例外ではなくネゴス部門をもっています。ただそれらしい活動は全くしていませんでした。でも、せっかくだから、それにお役所からのプレッシャーもあり、ワインを樽買いすることにしたのです。
きっかけは「あー、Pulignyを思いっきり飲みたい。」という私のひとこと。ブルゴーニュの白ワイン、特にスレンダーなPulignyが大好きな私は冗談のつもりで、「Montrachetを樽買いしようよ。」とパトリックにいったのです。これが正にひょうたんからこま。
翌日にはクルチエの友人に電話をし、Pulignyに限ってオファーをもらったのです。Montrachet、Batard-Montrachet、Chevalier-Montrachet、Puligny 1er cru Garennes、のうちテイスティングの結果Montrachet1樽、Chevalier-M2樽、Garennes2樽を購入することに決定。こんなに素晴らしいアペラシオンを、そして2002年という21世紀を代表するヴィンテージをゲットできたのは本当に幸せ。
因みにこれらはすべて完売です。しっかり私の分はとってあります。ウフフ。
それから2003年分はありません。生産量が激減した年なので、ネゴスに売っている場合ではないってかんじでしょうか。
今年もよろしく。